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江戸末期、まだ神戸の港を開く前、日本は欧米列強に神戸開港を迫られた。徳川慶喜公は、欧米公使とまともな外交政策を試み神戸の開港に一役かった。
慶喜公は新しい欧米の食文化に接し興味を持ち、外交のために外国人使節団をフランス料理やコーヒーでもてなした。一万五千両を使いフランス人のコックを雇い食材調理器具を横浜から取り寄せた。そして、日本国の公式行事に初めて登場することになるコーヒー豆も。
当時、世界のコーヒーは「モカ-ジャワ時代後期」(ジャワ全盛期)でオランダのコーヒーが世界を席巻していた。

15代将軍・徳川慶喜公 |
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モカ(※2)とジャワ(※3)
が主だったコーヒー産地で、我々の考えるところではインドネシアのアラビカ種コーヒー豆 (※4)が、
オランダ人経由でフランス人によって横浜で買われたものではないかと考えている。
この頃、既にフランス郵船の定期航路でマルセイユ=上海、上海=横浜があった。
徳川幕府はパリ万博に 徳川慶喜公の実弟、徳川昭武(とくがわあきたけ)を送り出している。その一行に、近代日本の資本主義の生みの親・渋沢栄一がいて、その時の日記の中にコーヒーを飲んだことの記述がある。
フランス郵船の船上で書かれた渋沢の日記にはこうある。
『カッフへェー(コーヒー)という豆を煎じたる湯を出す砂糖牛乳を和して之を飲む頗る胸中を爽やかにす』
おそらく、日本で一番古い「コーヒー = うまい」という文章ではないだろうか。
そして、慶喜公が飲んだコーヒーはフランス人コックによって作られた「贅沢なカフェオレ」だったと考えられる。 |